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ノベルNOVEL

ノイタミナノベル「PSYCHO-PASS サイコパス/ゼロ 監視官 宜野座伸元」 プロローグ


プロローグ

今にも溶け出しそうな太陽が、己の輪郭を揺らしながら、ゆっくりと世界の果てに沈んでゆく。
晩秋の暮れは、こんなにも世界を赤く染めるものだったろうか。
ぼんやりとそう考えてから、宜野座伸元(ぎのざのぶちか)は自分の思考のとりとめなさにうろたえた。
こんなことを考えたいわけではない。
それなのに、視界が軋むほどの赤に呑まれて、考えが定まらない。
揺れ動く感情の舵をとるため、眼鏡のフレームに手をかける。
馴染みあるフレームの硬質な感触とぬるりとした液体の感触が、指先に同時に伝わってきて、
宜野座は慌てて目の前に手をかざした。
中指に、フレームに触れた感触をそのままなぞるようにして、赤い線。
その赤い線は次第にじっとりと垂れ下がり、宜野座の掌を滑り落ちていった。
すると、それに呼応するようにして小さな赤い雫がいくつもいくつも掌に落ちて、重力に導かれるまま無数の線を引いていく。
宜野座は、その線をすりつぶすようにして拳を握る。
指の股の隅々にまで、ねちゃりとした感覚が広がった。
それが不快で、すぐさま掌をスーツの裾になでつける。しかしそのスーツもまた、赤く濡れていて、宜野座の期待通りの効果は発揮しなかった。
醜く汚れた掌を見つめて思う。
全身、血まみれじゃないか。
世界が赤かったのは、夕日のせいだけではない。
頭のてっぺんからつま先に至るまで、宜野座自身が赤にまみれているのだ。今宜野座が見ている世界は、
血で染まったレンズ越しの世界だったのだ。
非現実的な景色にようやく説明がついた。
しかしそれでも、宜野座の胸の内は全く晴れなかった。
細い肩を微かに震わせながら、目の前に立つ男の背中を睨みつける。
「なぜだ……」
喉元から絞り出すようにして問う。
「なぜだ狡噛……!」
宜野座の問いかけにも、男の背中は微動だにしない。それが当然とでも言うように、沈黙を守っている。
「なぜ」
言いかけて、口を噤む。
答えなど、返ってくるはずがないのだ。この背中にいくら問いかけても。
この背中は何時だって、自分を拒絶するのだから。
宜野座の脳裏に既視感が去来する。
似たような背中を、幼い頃にも見たことがあった。
この背中だ。
この背中がいつだって、俺の目の前に立ちはだかっている。
宜野座の足下から、男の足下まで、黒く長い影が伸びる。
自分の影が男に踏まれたまま地面に縫い付けられてしまったようで、宜野座はその場から一歩も動けない。
足下の血だまりの中に肌色の短いゴム管のようなものが、ぽてんと所在なさげに転がっているのが見えた。
ちぎれた小指。
弾けた衝撃で宜野座の足下まで飛んできたのだ。
宜野座はこの小指の持ち主を知っている。
この小指が、かつてその持ち主のもとで、いかに繊細に動いていたのかを知っている。
しかし今は、主から無残に切り離され、ただの物体に成り果ててしまった。
宜野座は、ただの物体となったそれを、拾い上げる。
かすかに残るぬくもりが宜野座の指先から体内に入り込んで、心臓のあたりをめちゃくちゃにかき乱した。
それでももう、宜野座が男に問いかけることはない。
宜野座はこの問いが心の奥深くに沈んで二度と浮上してこないように、自らの芯に重く冷たい鍵をかけた。
ゆっくりと、日が沈んでゆく。
赤い世界は、徐々に闇に侵されていく。
しかしその闇は、何も隠してはくれない。

<つづく>

常守朱が公安局刑事課一係に配属される少し前──監視官・宜野座伸元と一係の活躍を描く、TVアニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」のキャラクタースピンオフノベル「監視官 宜野座伸元」は、ニトロプラス&マッグガーデンより今冬発売予定! お楽しみに!