『ノイタミナ』に携わるクリエイター達にスポットを当てたインタビュー記事を公開
いつの間にかノイタミナに
4作連続参加
ノイタミナも10年目になりました。岡田さんの印象に残っている作品はありますか?
岡田そうですねえ。いろいろありますけど、中でも『墓場鬼太郎』は良いなあって思います。水木しげるさんの作品が私は好きなので。あとは『モノノ怪』も良かったですね。TV放送として、こういう作品を観てみたかったなあという感じがしました。総じてノイタミナって「挑戦枠」という感じがありましたね。関わる以前は、すごく新しい作品をつくる枠という印象がありました。
岡田さんは2011年に4作のノイタミナ作品のシリーズ構成を担当されていますが、どんな経緯があったのでしょうか?
岡田最初に作業を進めていた作品は『放浪息子』だったんです。当初、この作品は放送局が決まっていなくて、途中からノイタミナ枠に決まったという経緯がありました。『あの花』もそうでした。両方とも、いつの間にかノイタミナになっていた。もともとノイタミナ枠だった『フラクタル』もあわせて、結果として集中してしまったなあということです。作品が重なると、大変なこともあるんですが、良いこともあって。同じようなシーンがあったとしても、それぞれの作品の方向性にあわせて、違いをより際立たせることができる。そういうことができたのも、おもしろい体験でした。
慣れで仕事をしないように
ノイタミナに気づかされた
放送枠がノイタミナに決まることは、岡田さんのお仕事にはどんな影響があるのでしょうか?
岡田放送話数の違いが大きいですね。普通の深夜アニメの1クールというと、話数がだいたい12本になるんですが、ノイタミナは11本。話数が一本少ないことは、わりと影響が大きいんですよ。シリーズ構成を切り直さなくてはいけないので。しかも、知らず知らずのうちに身に着いてしまっている1クール(12話)の感覚というのがあって。おそろしいことに自分でも気づかないうちに12本でシリーズの構成を切ろうとしちゃうんです。「慣れ」っておそろしいなと思ったし、ちょうど私自身も「慣れちゃいけない」という気持ちでいたころで。自分の体感で11本の構成をできるようにしようと考えていました。そういう自分の「なり」に気づけたということも含めて、新人の頃のような清々しさで作品に挑むことができた気がします。
ノイタミナを通じて、岡田さんがご自身の手癖に気づかれたということですね。
岡田作品数を重ねていくと、その現場なりの対処法のようなものが身についてくるんです。共同作業なので、皆の意見がすれ違って難航した時に「こう書いておけば、とりあえず問題がない」という「ゆるい正解」が見えるようになる。でも、それって進化じゃなく退化なんじゃないかと思い始めていたんです。作業は多少難航したとしても、ちゃんとそれぞれの作品にとって「ベストな正解」を探っていきたいなと。そこで出会ったノイタミナは、私にとっても挑戦の場になりました。(放送話数が短いという)負荷やカセがあることで、より深く内容を掘っていこうと思えた。あと、ノイタミナは尺(一話の長さ)も違うんですよね。ほかのアニメ作品よりも1話の時間がやや短い。何作か脚本を書くと、原稿用紙の枚数で尺を測るようになるんですね。ペラ(原稿用紙の半分)1枚何分って。でも、枚数から測る尺ってあてにならないものなんですよ。監督の方針によっても全然違うし。原稿用紙の枚数や尺の長さに左右されず、視聴者が満足できる作品とはどんなものなのか。ショートでも納得いく感情のうねりやフックのかけ方、作品としての瞬発力の高め方などを考えるきっかけになりました。
仕事のスタイルが変わった
ノイタミナの2011年
話数が短いというと『ブラック★ロックシューター』はノイタミナ作品の中でも最も変則的で全8話の構成でした。
岡田とてもおもしろかった作品です。『ブラック★ロックシューター』は私が参加する前にいろいろなことが決まっていて。最後に私が参加した、という作品だったんです。途中から作品にくわわった分、俯瞰で作品を観ることができて。最初は話数の少なさに戸惑ったけれど、途中から「もっと少なくできるかも?」と思ったし(笑)。
かたちにとらわれない作品づくりができたわけですね。
岡田本当に濃厚な2年間でしたね。すべて違うタイプの作品だったし、新しく出会ったスタッフもいたので、どの作品も新鮮な気持ちで挑むことができました。もちろん、けっこう……っていうか、本当に大変でしたけど(笑)。もし私がいま死んでしまったとしたら、仕事をはじめてから一番濃い時期って、これらのノイタミナ作品をやっていたころだろうな……。冬場の早朝4時に打ち合わせをしたのも忘れられないですね。
ええっ!
岡田交通手段が電車もなにもなかったんで、自転車でスタジオに行ったんです。精神的にも追いつめられていたので、「もうやだ、全部やだ♪」とか、自棄になって歌いながらペダルを漕いで(笑)。でもスタジオに着いたら、すでにみんなが待っていたんです。髭とかも伸び放題で。「この人達と一緒に戦ってるんだなぁ」と、一気に心が暖かくなりました(笑)。あと痛感したのは、いくつになっても仕事の大変さは変わらないんだということ。それはある意味でうれしいことでもあって。仕事を重ねると、若手としてだんだん扱われなくなりはじめて、当時は少しずつ仕事が楽になったような気分を感じていたんです。でも、いつまでも仕事の大変さは変わらないんだと思えたことで、一周まわって仕事が楽しくなりました。今もキツいことがあるんですけど、この時期に楽しみ方がわかったのが良かったです。ヘンな話ですけどね(笑)。そういう経験もあったので、2011年以前と以降では仕事のやり方が少し変わった気がします。
(続く)