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ノイタミナオンデマンドCREATORS INTERVIEW

『ノイタミナ』に携わるクリエイター達にスポットを当てたインタビュー記事を公開

Special Interview

渡辺信一郎SHINICHIRO WATANABE

008-A

PROFILE
『坂道のアポロン』監督、『残響のテロル』監督
原作のスタンスが自分に近かった
『坂道のアポロン』

『坂道のアポロン』と

『残響のテロル』の関係

7月より『残響のテロル』が始まりますが、渡辺(信一郎)監督のノイタミナ初登場は『坂道のアポロン』ですね。

渡辺そうです。ただノイタミナとか以前の問題として、2007年ぐらいからいろんなオリジナル企画を作ってたんだけれど、企画が通らなくて新作をなかなか作れなかった。『残響のテロル』はそのころ作った企画のうちの一本で、実はアポロンより前から存在してたんです。そこにフジテレビからアポロンのオファーが来たんで、そのオファーを受ける時に『残響のテロル』も提案させてもらった。そしたら、「『アポロン』だけでなく、こちらも含めて考えましょう」との話になったんで、『アポロン』と『テロル』は並行してスタートしたともいえるんです。

そうだったんですね。『坂道のアポロン』はジャズが題材ということもあり、渡辺監督にぴったりの企画でしたよね。

渡辺よくそう言われるんだけど、いま思うとジャズが題材とかそういう事ではないんじゃないかな。

それは、どういう事でしょうか?

渡辺原作を読んだ時、これなら出来るなと思ったポイントは、キャラクターとかドラマに対するスタンスというか、距離感の取り方みたいなもの、それが小玉(ユキ)さんと自分で近かったんじゃないか。つかず離れず、という表現がいちばん近いと思うんだけど、キャラクターとかドラマに思い入れしすぎず、でも離れすぎずという距離感。それは、例えばキャラクターの悲しみというのを表現する時に、泣き顔を大きく描くか、それとも表情を見せないで後ろ姿だけで表現するのか、という違いで、モノづくりをする人間にとって実はストーリーとか内容よりもそのスタンスの違いのほうが大きいと思うんです。たとえジャズが題材だったとしても、自分とはスタンスが違ったりすると出来なかったと思います。

菅野よう子が音楽だからできた

ジャズシーン

ジャズのセッションシーンは、非常に力が入っていました。

渡辺もともとセッションのシーンが常にドラマの重要な部分を担ってるんで、そこをどう表現するかがキモかなと。原作ではセッションにおいて薫と千太郎が感じたこと、感情の流れや気持ちのつながりがモノローグで表現されてます。それはマンガだと音がないからそうせざるを得ないけど、アニメは音も動きもあるわけだから、そういう感情はなるべく言葉にしないで、演奏シーンの音と映像をもってそのまま視聴者に感じ取ってもらいたいと。逆にいうと、それだけ説得力のあるセッションシーンを作らなくてはならず、それはハードルが高い作業だけど、それをやらなければこの原作をアニメにする意味がないと思いましたね。

あの第7話、学園祭の音楽シーンというのはどうやって作っていったのでしょうか。

渡辺アポロンの演奏シーンの大半は、スタンダード曲をドラムの石若駿、ピアノの松永貴志がアドリブを大きく加えて自由に演奏したものですが、7話に関してだけは違うんです。アドリブを交えながら演奏が最高に盛り上がっていくというようなシーンは、視聴者が全員ジャズ好きではないわけですから、そういう人にも説得力があるような演奏にしないといけない。演奏者の二人が盛り上がって演奏したとしても、それが視聴者の盛り上がりとリンクするかどうか分からない。でもそこは、菅野よう子だったらできる、という目算があった。あのシーンだけは、本当のアドリブではなく、あたかもアドリブで盛り上がっていくように聞こえるアレンジを彼女があのライブシーンのために書いているんです。それをミュージシャンたちが完璧に演奏してくれた。もし菅野さんがやれないということになっていたら、演出を変えていたかもしれません。

(続く)

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