NOITAMINA
OFFICAIL WEBSITE

SHARE

ノイタミナオンデマンドCREATORS INTERVIEW

『ノイタミナ』に携わるクリエイター達にスポットを当てたインタビュー記事を公開

Special Interview

岸本卓TAKU KISHIMOTO

007-A

PROFILE
『うさぎドロップ』シリーズ構成、脚本。『銀の匙 Silver Spoon』シリーズ構成、脚本
実は『ノイタミナとは何か』を知らなかったんです

初めてのTVシリーズで

味わった試行錯誤

このたびノイタミナが10年目を迎えました。岸本さんはノイタミナという放送枠にどんな印象をおもちでしたか?

岸本実は『うさぎドロップ』の脚本を書くまで「ノイタミナとは何か」を知らなかったんです。そもそも『うさぎドロップ』の脚本を書くことになったのもたまたまで。4年ほど前、勤めていた会社を辞めたその日に、たまたまプロダクションI.G(当時)の中武哲也プロデューサー(現・ウィットスタジオ所属)から飲みに誘われたんです。彼とは2度会ったことがあるだけだったので、なんの用か不思議だったんですが、ヤケ酒に丁度いいやと思ってお店に行ったら、いきなり中武さんが『うさぎドロップ』の単行本をテーブルにドンと置いて、「シリーズ構成をやりませんか?」と。こちらとしてはTVアニメーションのことをまったく知らなかったので「シリーズ構成って何?」というありさまだったんだけど、中武さんは「要するに全話書けばいいんですよ」と言って、気にもしていないようすで。その会話の中で「この企画、ノイタミナなんですよ」という話が出てきたんです。それを聞いて僕は「ノイタミナ」という単語が「?」だったんだけど、あたり前のように話しているから「知らないのはカッコ悪いのかな?」と思って(笑)。「ふーん、そうなんだ」なんて話をあわせてたんです。まあ、そのうちわかるだろうと。これが僕のノイタミナとの出会いです。

じゃあ、ノイタミナという意味もわからずに、『うさぎドロップ』の制作に入ったわけですね……。『うさぎドロップ』という作品には、どんな印象が残っていますか?

岸本先ほど話が出た会社に勤めるさらに前は、主に長編アニメーションを作っている会社で働いていたんです。宣伝やらの事務をやっていたんですが、これからは脚本で食っていこうと思って辞めました。名刺代わりに2時間ものの脚本を書いて、いろいろな人に見せて回ったんだけど、誰からも反応がありませんでしたね。たぶん読んでもらえてすらなかったと思います。1年ぐらい仕事がなくて、失業手当をもらって子育てをしてたんです。子どもが好きだし、子育ても楽しくて、人と会うたびに子育ての話をしていました。だから30前後の男が子どもを引き取ることになった『うさぎドロップ』という作品にはすごく身近な印象がありました。というより、だからこそ中武さんは僕に話を持ってきたんですけどね。

岸本さん自身が取り組みやすい題材だったんですね。

岸本そのころ僕は、子どもが話すヘンな言葉を全部メモしてたんです。「あの飛行機はどこに行くんだろうね?」と聞いたら「ホテル!」とか。そういう子どもならではの面白さを、最大限脚本に生かしたつもりです。
ただ、違うレベルの話でいうと……僕は第1話の脚本を10稿まで書いているんです。第2話が7稿、第3話が8稿、つまり第3話までに25稿を書いているんですよね。原作漫画では普通に読めていたことが、脚本におこそうとするとうまく書けない、という不思議なことが現象がおきていました。たとえば第1話で唯一の肉親であるおじいちゃんが亡くなって、りんちゃんはお葬式で大吉という見ず知らずの男と出会います。翌日からりんちゃんはその大吉のもとで暮らすことになる。そのとき原作では、りんちゃんが朝起きて「ダイキチ、お腹へったー」と言うんだけど、たったひとりの身内が亡くなって、目を開けたら知らない天井があって、そのセリフは出てこないんじゃないだろうかと。6歳の女の子だったら絶対に泣きだすだろうと。そこで僕はそのような脚本を書いていったんです。原作のいい意味での「軽さ」を、僕は最初自分のものにできていなかったんですよね。逆に言えば、お話を書く際の引き出しが現実世界におけるリアルさしかなかったんです。そんなわけで、『うさぎドロップ』という作品の持つ「軽さ」に慣れるまでにけっこう時間がかかりました。

作品に誠実に向かい合っていたわけですね。

岸本たんに、不器用なだけだと思います。現実的なものだけがリアルなわけじゃないし、『うさぎドロップ』に現実的なリアリティを足すことが、作品を豊かにするわけでもない。それに気づくまでに時間がかかりました。

初めて尽くしのスタッフと

現場で起きた出来事

第4話以降の脚本執筆はいかがでしたか?

岸本3話に苦戦している頃、僕の解任話がちらほら出てきました。このままのペースだと確実にスケジュールが破綻するので当然なんですが。さすがに何とかしないといけないと思って、スタジオの亀井幹太監督の隣に席をつくってもらったんです。第4話以降の脚本は、まず書いたものを亀井監督に読んでもらって、徹底的に話し合ってお互い納得したものに仕上げてからホン読み(脚本会議)に提出するというスタイルに変えたんです。そうしたら、やっと打ち合わせがスムーズに進むようになりました。

『うさぎドロップ』は岸本さんが初シリーズ構成、亀井監督もTVシリーズ初監督ですよね。

岸本そうなんですよ。僕はTVシリーズの脚本を書くことが初めてで、というか実質的には脚本を書くのが初めてで、アニメーションプロデューサーの松下慶子さんもTVシリーズを回すのは初めて。山下祐さんもキャラクターデザインは初めてだったんじゃないかな。初めて尽くしのメンバーでした。

ノイタミナのスタッフと会ったのはいつですか?

岸本ノイタミナといえば、山本幸治プロデューサーですよね(笑)。『うさぎドロップ』のホン読みがはじまって、しばらくしてから山本さんが現場にいらしたんです。そうしたら、山本さんがいきなり「子ども編だけを見て作るのはよくない。高校生編まで描く可能性も含めて、物語の全体の結末をどうまとめるのか考えた方がいい」とおっしゃったんですよ。それ自体は正論なんですが、こっちは『子ども編』でまとめるというコンセンサスをとったうえですでに作業を進めてたからびっくりして。「今更、何を言っているんだ!? 現場をひっくり返すなぁ、この人は!」と憤ったのを覚えています。山本さんがおっしゃっていたのは、たとえるなら『おもひでぽろぽろ』のような構成だったかな。『高校生編』のあいだあいだに『子ども編』を入れ込むような構成も検討してみたんですが、あまりうまくいく気がしない。けっこうやりあったのを覚えています。挙句の果てには、直接メールを送って「ここはこうしたいんだ」と個人的に意見を伝えたりもしていました。

じゃあ、最初は意見の行き違いからはじまったんですね。

岸本まあ、あとから聞いたら山本さんが遅れて参加したのは理由があって、彼の本意じゃなかったんですけどね。僕はその経緯を知らなかったので、山本さんは「そもそも論でひっくり返す人」という印象が植え付けられた(笑)。でも、そのあと『銀の匙 Silver Spoon』でご一緒したときは、その「そもそも論」がすごく機能したんです。基本的には作品のことをちゃんと考えているからこそ「そもそも論」が出てくるわけで、スケジュールに余裕さえあればすごく有益な議論の種になる。

『うさぎドロップ』がノイタミナだったことで、苦労したことはありましたか?

岸本「ノイタミナだからこうしてくれ」と言われたことは僕の記憶では一度もないです。僕にとっては『うさぎドロップ』が脚本家として初めての仕事だったし、その次に関わった作品が『銀の匙 Silver Spoon』だから、ノイタミナが基本になっているんです。ノイタミナは1話につき尺(放送時間)が19分50秒だけど、それが僕にとっては普通になっていて。日曜5時のMBS作品(『ハイキュー!!』)の脚本を書くとき、最初は戸惑いましたね。尺の長さが21分ぐらいあって、ゆったりしてるなあって。

岸本さんにとってはノイタミナが基本になっていたんですね。その基本をつくった『うさぎドロップ』が脱稿したときは、達成感みたいなものをお感じになりましたか?

岸本今思えば、すごく幸せな現場でした。スタッフもすばらしかったし、先生(宇仁田ゆみ)との関係も超良好で。脚本に対しても、好意的に見ていただいたし。たとえば「秋になるとりんちゃんはどんな服を着るのかな?」という疑問が現場で出てきたとき、先生に聞くと大量の設定画などの資料が送られてくるんです。「このまま設定につかえるね!」というほどのパターンを用意していただいて、本当に協力していただきました。『うさぎドロップ』は本当に幸せな作品だったと思います。

(続く)

TITLE

閉じる